サルサ界には食パンとケーキがいる。
一緒に楽しんでそうに見えるが、内面には大きな問題が潜んでいる。
ケーキが食パンと踊ると、いつの間に甘みを吸い取られ食パンになってしまうのだ。
ケーキは甘みを保つためにはケーキ同士で踊らないと行けないのに、
可愛い、カッコいい、知り合いだからと色んな理由で食パンと踊ってしまう。
酷い時は、自分も安い食パンになってしまうのだ。
恐ろしいのはこれがなかなか本人は気づかないのだ。
というか気づきたくないかもしれないかもしれない。
食パンの場合、ケーキと一杯踊ってもらいたい。
でも、東京の殆んどの食パンは甘みを吸い取るだけで、もらった甘みを保存したりはしない。
ケーキになる努力はしないで、甘みを取るためにまたケーキを探し続ける。
それで、クラブにはケーキが減っていく。
食パンもケーキがいないとクラブに来なくなる。
ケーキは少なくなったクラブには、年が変わると、新しい食パンがやってくる。
というわけで、俺は食パンが相当嫌いだ。
関係ないでしょうと言っている人もいる。
そこに僕に返事したいのは、「食パンは食パン同士で踊ったら」かな。
中には数少ないが、ケーキと踊って自分もケーキになる食パンもいる。
その食パンはケーキと踊った時にもらった甘みを大事にしてケーキになっていくのだ。
でも、東京には1%いるかいないかくらいかな。
ケーキになろうと熱心の食パンも、ケーキになる気のない食パンと踊ることになるから、
なかなかケーキになれないのだ。
俺が初心者の時に、自分より上手い人と踊るのは本当に少なかった(月1~2回くらいかな)。
一番調子がいい時+慣れた曲に限って、ケーキに踊ってもらった。
踊った後はその甘み(感覚)をなくさないようにずっとイメージトレーニングしてきた。
相手が僕により甘みが吸い取られると思うと本当に申し訳ないのだ。
貴方はケーキの甘みだけを吸い取る食パン、それともケーキになっていく食パン?
サルサ上手い人を評価する際に、「自分に合う相手がいれば、合わない人が人もいるいる」という人もいる。
確かにそうかも知れないが、本当に上手い人は、
いつもの自分の動きをずらして相手に合わせる踊りをすることもある。
でも、優しさがとんでもない誤解も招くこともある。
「あの人は自分と踊りが合う。相手もきっと楽しいだろう」と思われてしまうケースもあるのだ。
相手が自分に合わせたとは気づかない鈍感なおばさんも少なくない。
典型的なケーキの甘みだけを吸い取る食パンなのだ。
クラブには、もう食パンばかり。
前、ある酷い食パンに誘われたことがある。
あまりの酷さに顔が固くなってしまった。
相手に、「踊りづらいなら、やめますか」と言われた。
「そうですね、このままだと、どちらかは怪我します」と返事した。
それで、踊りは途中で終わった。
でも、仕方ない。食パンと踊り続けると、誰にも見向きもされない食パンになってしまう。
※食パンとは
単なる初心者の意味していることではない。
サルサ歴とは関係なく、サルサが何か知らない人のことをいう。
※関連トピック : 下手な人と踊ると下手になる